『麦ふみクーツェ』

やっと読み終わりました。いしいしんじの『麦ふみクーツェ』。長かった。分量的には、さほどでもないんだけど、なんか、こう、長かった。いしいさんの長い話は、ストーリーがあるようでない気がするんですよね。一種の自伝とかそんな感じで。『ポーの話』もそうだったけど。ちょっと音楽をかじってた人間なので、合奏とかそーゆー話に話題が移るとドキドキします。最後にでた「合奏は楽しい」に、大きくうなずいてしまったことは、言うまでもありませんね。今でも忘れないですよ。マンドリン部に入って、初めて合奏した日のこと。しかも曲目はスタンドバイミー。すごく難しかったし、全然なってない演奏だったけど、あれから私は誰かと音を合わせることに取り付かれて、パーレスそっちのけで合わせをしていたものです。あー、またしたいなぁ、合奏。

シリーズでもないのに、やっぱりいしいさんの作品には一つのモチーフとしてねずみが登場するようです。今回のねずみは盛大でしたね。あとは、『トリツカレ男』でもあったけど、三段跳びも思うところがあるのでしょうか。これも時々出てきますね。いしいさんの作品は、一つの作品が次の作品へとリレーをするようにつながっているような気がするんですよ。こないだ読んだ本のことが、次の本でよく出てくるし。ねずみしかり、三段跳びしかり。それできっとずっとつながって、一個のわっかになっちゃうんじゃないかなって思えてくるのですよ。

伊坂幸太郎とか恩田陸は同じ世界に住んでる人って気がするんだ。だけど、いしいしんじは全然違うところに立ってる。騙し絵で私の足の裏側にいるような気がする。なんでかってゆーと、世界の軸が私と伊坂さんと恩田さんとズレた位置にあるような気がしてしょうがないから。日本語で日本人が書いた外国文学みたいなにおいがする。

そうそう、においといえば。いしいさんの作品はにおいますね。くさいです。非常に。気障だとかってゆーくさいんじゃなくて、ドブくさい感じ。洗濯物の生乾きとか、手入れの悪いドブとか、路地裏のにおいがします。そうだな。ちょっとラテンアメリカ文学に共通する暗さを感じる。前のときの感想でも書いたけど、気持ち悪いんだよね。うーん。たとえるのが難しいけど、気持ち悪い絵が挿絵の絵本みたいな感じ。もしくは、絵は可愛いくせに内容はものすごく気持ち悪い、やっぱり絵本。私、そーゆー絵本大好きなんだけど。ま、とにかく、いしいさんの本は感想書きにくい。てか、書けない。どうかけばいいかわからない。

麦ふみクーツェ (新潮文庫)

麦ふみクーツェ (新潮文庫)